《紀行文》無垢島 むくじま 2018

2018年3月25日(日)

とにかく名前からくるイメージが良い。どれほど無垢な姿をしている島なのだろうと、訪れる前からイメージが膨らむ。

無垢島へ向かう航路は、1週間のうち、2便の運航がある日は「火・木・日」のみで、それ以外は1便や運休日になる。島へ渡ったきり、帰って来られなくなる1便の日が週の半分というのが、無垢島アクセスの難しさだった。無垢島の民宿も近年無くなってしまったので、何としても日帰りをする必要がある。(1軒あった民宿は、常連だった客のみ受け入れているそう/釣り客情報)

今回は、日帰りできる日曜日を選んだ。朝8:30に本土の津久見港を出港する船に乗り、15:00に島を出るというスケジュールだ。火曜日と木曜日は、船が微妙に津久見港を出発する時間が遅かったり、島を早い時間に出たりと、日曜日のスケジュールと比べると、どうしても勿体無さを感じてしまう。何が何でも、最も長く無垢島に滞在できる日曜日に行きたかった。私たちは、この便に合わせるため、つい先ほど、保戸島の1便で津久見港に戻ってきたばかり。港で1時間半ほど時間を潰し、順調に、念願だった無垢島航路を渡れそうでホッとしている。この時を待っていた。

8:30、3歳の娘と私、そして釣り客2名を載せて、定期船・カメリアスターは出港した。

無垢島に到着後、下船するとすぐに雁木の漁港風景が目に飛び込んでくる。雁木は係留する船が、潮位によって海面が変化しても荷揚げなどに対応する階段状の構造をした港。浮き桟橋が増えた今、造られることは少なくなっていて、消えゆく風景と言える。この日は小潮で、潮位の変化が40cm程度なので、この後、劇的に潮位が上がった姿が見られないのは残念だ。

集落は、海岸に面するように広がっている。港と同じ高さの一段目に漁具の納屋や一部は住宅が建ち、その後ろ低めの二段目があり、三段目と住宅が続く。雁木と同じように、山側に階段状に集落形成されてる。二段目と三段目の間には隙間に細い路地が通り、時折、家と家の間の階段があり、歩いているとチラリと海をのぞかせる。

漁港前の道路に、犬小屋落ちの軍鶏ハウスがあり、軍鶏が放し飼いにされている。名は土佐次郎。納屋前のゲージにも別の軍鶏がいたが、それらは大変凶暴なため、ゲージにも近づかない方がいいという。土佐次郎もその軍鶏に過去に襲われて傷を負い、恐ろしくなったので独り軍鶏ハウスに住むようになったらしい。

島では猫も見かけたが、土佐次郎を襲うことはないという。そこは流石、闘鶏・軍鶏の威厳?ただ、飼い主の女性が、「夏みかんが好物なのよ」と言って、夏みかんを剥いてる横で、目をキラキラさせながら大人しく待っている姿は、とてもシャモには見えなかった。これはチャボの間違いではないかと。

集落には井戸が4か所あるらしいが、港前のはこの写真。

塩っ気が強いので、飲料水には向かないということで、現在も飲料水は毎日船に乗せて運んで来ている。井戸水は、飲料水以外で利用している。中にポンプが降ろされ、港側の蛇口をひねれば井戸水はすぐに使える。長く伸ばせるホースもかけられていて、漁具を洗ったり、何かちょっと利用するにはとても便利で欠かせない存在だろう。

島は昭和56年から椿の栽培を行っており、今も無垢島では椿油を出荷しているという。ちょうど見ごろだったのか、椿林では椿の花がぽったり咲いていた。

島の東端に無垢島小中学校がある。2013年に中学校が休校して以来、子供たちの姿はない。小学校のグラウンドの端から、海岸へ降りる階段があり、そこを下りると目の前には沖無垢島が聳えていた。

今更ながら説明すると、実は無垢島という島はない。船が着いて今私たちいる島は、地無垢島と言い、沖合に見えているのが無人島の沖無垢島。両島併せての通称が、無垢島なのだ。まぁ、無垢島と言えば言いたいことは伝わる。

沖無垢島の山頂には、山桜がちらほら見える。この距離であれだけ見えるのだから、実際は想像しているよりたくさんの山桜が自生しているのだろう。振り返って、私たちの居る地無垢島の山を見ると、こちらも山桜が満開だった。

私たちはしばらく、この波打ち際で遊んだ。右と左から波が打ち寄せあい、細かい砂地なら長い砂州が露出するような場所で、とても穏やかだった。ここでシーグラスを集める者がいれば、打ち上げられたホンダワラか何かの海藻を使いおままごとをする者も……両者は思い思いに無垢島の海岸を満喫した。


「すごいの見つけた!!」顔を上げると、娘が野球のソフトボールを高く掲げていた。流れ着いたのか、無垢島の学校のものだったのか。拾ったボールをまじまじと見つめ、両手で大切そうに抱える。

海岸にはこういったボールや、すっかり摩耗されて角の取れた軟質塩化ビニール製の人形(いわゆるキン消しの類)が落ちている。環境問題を考えると複雑だが、探し歩くのは大人でも楽しかった。娘には天然のおもちゃコーナーだろう。ここで拾ったバルタン星人やウサギの人形などに『ミルクちゃん』『プクちゃん』と名前を付けて、帰りの飛行機の中でもずっと遊んでいた。私の方はというと、シーグラスや貝殻が目に留まるので、ニッチに住み分けながらも海岸では同じ行動で楽しんでいた。子供と旅をするのに、親も子も楽しめるので離島はやはり最適な場所なのだと改めて思う。

娘は小中学校のグラウンドに戻り、一人ボールを投げては拾うと言う疲れそうな遊びを始めた。私は何かの踏み台だったものに腰を下し、学校が休校になる以前の風景を、その姿に重ねていた。

(ボールはこの後、残念ながら集落の中で落として、もう2度と手の届かないところに入ってしまったのだけどね。)

海岸と学校のグラウンドで遊んだ後は、お昼ごはん。待合所がないので、大きな荷物や食品は、船員さんのご厚意で船内に置かせてもらっていた。一度船に戻り、再び集落の階段を上がり、無垢島大神神社という集落の中では最も高そうなところに来た。保戸島の民宿の女将さんが持たせてくれた保戸島弁当を広げる。2人でムシャムシャ食べた。

神社の高台から、椿林に行く途中に通った公園が見えた。遠目ではなかなか立派な遊具に見えたが、公園の草はボーボーで、遊具も古い物には見えなかったが、潮で錆ついていた。海の目の前にあるので仕方がないが、娘は残念がっていた。私も、島の子たちが遊んでいる姿も見てみたかった。元々は、島の子供たちのために造られたのだろうから。

食後は、集落の前にある浜辺で遊ぶ。夏はここで海水浴ができるそうだ。港の内側にあって安全だし、透明度も高くて最高だろう。

船が出る時間があったので、無垢島に来てからもう何度も歩いた場所を、また歩いた。特に飽きたということもない。

「こんな小さい可愛い子が、この島に居たら、本当にいいのにね」「本当にね」

農作業をしていた夫婦が、私たちにニコニコと声をかけてくれた。ちょっと待っててね、と奥さんが一度家の中に入り出てくると、手には大袋に入った自家製のヒジキが。

「はるばるやってきたのだから、お土産が必要よね」

受け取ると、両手で抱えるほどの量。乾燥しているのに、重い。これがどれほどの量か伝わるだろうか。スーパーで小さな小袋で売ってるヒジキと比べると、間違いなくヒジキ好きの我が家でも、数年は持つ量だ。

これだけの量を作るのに、どれだけの時間と手間がかかるのか、他の島で見ていたことがあるので、よくわかっている。とても嬉しかった。

出港の時間になり船に戻る。客は私たちと行きに乗っていた釣り客が1人。もう1人の釣り客は、民宿に泊まると聞いた。無垢島で夜を過ごせるとは、羨ましい限り。

カメリアスターは、雁木の港を離れて集落の前を滑るように走り出した。私たちは前後に座ってそれぞれ窓側にいたが、後ろの娘を見ると、涙ぐんでいる。「私、この島すごく好きで本当は帰りたくなかったの……」。おぉ、初めて私の気持ちを理解してくれる人がここに……親子だね。

翌日は、1週間ぶりに大入島へ渡る。

0コメント

  • 1000 / 1000