《紀行文》大入島 おおにゅうじま 2018・前

2018年4月29日

「島旅は、予定通りいかないのが予定通り」

なんてよく言うけれど、楽しい旅の準備中に、嵐の港で島に渡れず立ち尽くしている姿はあまり想像したくない。

大分への島旅を予定していた3月は、北西だった風が南寄りに吹きだす頃で、晴れれば穏やかで過ごしやすい一方、急速に発達する低気圧――いわゆる『爆弾低気圧』――にバッティングしてしまえば、大荒れで島旅どころではなくなる。この時期に島へ行くなら、その可能性を念頭に置いて計画を練る必要がある。そもそも島旅は欠航と背中合わせで、5:5の確率で欠航すると思っておいた方がいい。例え渡れたとしても帰ってくる船が欠航してしまう可能性も含まれるので、この時期に限ってはあながち間違いではない数字だ。フレキシブルな旅程を立てて、島へ渡る日を心待ちにできれば、本当の意味で島旅を楽しめる人と言えるだろう!


……などと物分かりのいいことを、旅を終えた自宅のパソコンで打ち込んでいるわけなのだが。実情はだいぶ違っていた気がする。


今回目指そうとしていたのは、豊後水道の南に位置する屋形島と深島。豊後水道の荒波と太平洋のうねりの影響を受けやすいため、風が吹いたら厳しい場所だ。なので、私自身はそれなりのリスクを覚悟の上で計画したつもりだ。4:6で厳しいかもしれないと。過去の島旅で3月に痛い想いもしていたのだが、旅を計画している時は脳ミソがとろけて正常じゃないことも多い。

「欠航を考えていたら島旅なんかできないよ!それに、晴れたらいい季節なんだ!最高なんだ!」

希望的観測が上回っていた。

そして。全ての予約を入れ終えていた出発の一週間前、出発日頃に春の嵐が襲来する可能性が発生した。それも高確率で。毎日祈るように天気予報を確認するも、予想されていた天気は日を追うごとに確実なものになっていった。

出発当日。娘と2人で降りた、大分空港。冷たさと生ぬるさの間の子ような雨が降っている。しとしとしとしと。春雨などと文学的な味わいは一切感じず、可能性と絶望感で揺れていた。何とか鉄道を乗り継ぎ佐伯のホテルにチェックインし、やれやれと入った部屋でまずテレビをつけた。気象予報士がこの後も数日に渡り雨が降り続き、やがて“風雨”に進行するなどと、笑顔でとどめを刺してくれる。嗚呼!

夕方、深島の宿から電話で「明日島に来られるのは難しいでしょう」と最終通告を受け、深島&屋形島は中止が決まった。想像通りだが、なんてこった。

代替案を考えていなかったわけではないが、「晴れて欲しい、晴れるかも!」という願望が今日まで邪魔をして、練り込んでいなかったのだ。自分1人なら、適当に移動できるものの、幼い娘はそうもいかない。深島&屋形島が駄目なら、当然、佐伯の周りの他の島も軒並み欠航。幼い娘は佐伯の街を歩いて観光するのは、文句ばかりで難しそう。あぁ、なんでちゃんと考えていなかったんだろう。

そんな中、大入島の存在は一筋の光だった。大入島は、今日のうちに日帰りで行くつもりだったが、この雨で行くのを中止していた。屋形島と深島を諦めた裏で。

やはり深島&屋形島と比較すると、本土からのアクセスの良さと内海にある島なので「いつでも行ける」という意識があり諦めのよさは、深島&屋形島とのそれとはずいぶん違うのだ。冷静に考えれば、自宅のある横浜から大入島はとても遠くて「いつでも行ける」というのは錯覚でしかないのだが。

大入島へは、JR佐伯駅から歩いて10分ほどの港から、船でわずか10分。架橋されてもおかしくないほど、陸地に迫った場所にある。佐伯の街中に近いせいか、船の便数も朝から夜まで1時間1本程度と豊富。何より、少しくらい海が時化たところで船は問題なく運行される確率が高い内海の島だ。

深島&屋形島のことはいったん忘れて、大入島に行ってみようか。

翌日の天気予報も雨。ただし、奇跡的に午前中は雨がやんでいる時間があるという。わずかな時間で、幼い娘と2人で何ができるのか未知数だったが、とにかく大入島へ渡ろう。

昨日予定したはずの大入島。あらかじめ決めていた滞在時間は、過去の旅程と比較すると半日未満しかなく、全く充分とは言えない。“秘境訪問差別”とでも言おうか、やはり限られた時間で遠い島へ行くなら、可能な限り奥まった地域を優先的に訪れたいのだ。それは深島であり屋形島であり鶴見大島であり……そういう意味で、大入島は「近い」のだ。結局は、1日遅れで大入島へ行く機会に恵まれたのだが、リサーチ不足は否めない。

佐伯駅から佐伯港までえっちらおっちら、3歳の足で15分ほど。バスも通っていて、タイミングを見計らって利用するのもよかっただろう。佐伯港からは、大入島の他に鶴見半島の先端に浮かぶ鶴見大島へ渡る船も出ていて、こちらの待合所にも立ち寄っていった。待合所の中の、『本日欠航』の札が断念した深島&屋形島を思い起こさせる。女々しい!女だけど。またいつか鶴見大島へ渡るときに、一緒に深島&屋形島へ行ければいいんだけどね。

これから乗り込むマリンスター常栄丸は、港に停泊していた。朝の9時だったが、既に2便の運航を終えて3便目だ。

船の上にいた女性のスタッフに声をかけると、乗船していいと言うので一番乗りで船内に入る。座席に腰を下ろし、ふと天井を見上げると意外なものが目に飛び込んできた。鉄道車両でもお馴染みのつり革で、見る限り全く同じものだ。写真をその部分だけを切り取ると、電車の中と言っても誰もが信じるだろう。座席の並びも、船内の左右に縦列シートが並んでいて鉄道過ぎて笑ってしまう。それもそのはず、この船はJRから払い下げられた中古車両を船に改造したものだからだ。……なんていう事はあり得るはずもなく、単純に鉄道車両に似ているだけ。座席以上の乗客が来た場合、つり革につかまって立ち乗りになるというわけだ。

「島に来る人はみんな電車みたいと言うね」

島の人によれば、乗船した人の感想は皆似たようなものらしい。このつり革が必要になるほど大勢の人が利用することはあるのだろうか。

港を出向した船。大入島行きにワクワクしてきてはいるが、改めて空を見上げてしまうとどうもよくない。青い海を見たかった私には、どう努力しても残念な空模様にしか見えないのだ。風で船も揺れる揺れる……雨が降っていないだけ運がいいのだが。季節外れの寒さに、ボカボカと暖房が焚かれている船内が心地よくて、外とのギャップを考えると不安にもなる。何しろ、3歳児と一緒なわけで。

潮で霞む窓ガラス越しに近づいてくる大入島が見えた。島肌にぽつぽつ咲き始めている山桜には癒された。青空の下ならなお……と悔しさが多少はあったが、昨日からの“残念”で凝り固まった心をほぐす希望のピンク色だった。

大入島の堀切港で下船すると、目の前が海の駅・食彩館。ここで自転車が借りられるか聞くつもり。営業開始時間は午前9時のはずだが、締め切られている。あれ?休館日ではないはずだが。時計が間違っているのかな?確か佐伯港を9時に出る船に乗ったから間違いがないはずだが……扉をコンコン叩いたが、開く気配はない。ただ、人の気配はする。こんな天気だし、人も来ないからと開店するのを忘れてしまっているのかも。時間がないのに困ったと思っていたところ、建物の横のカンガルー広場にある遊具で娘が遊び始め、こちらに向かって絶叫している。

「こっちきてーー!!きてってばーー!!」

娘の声のお陰なのか、慌ててお店の扉が開かれた。そうなると思ったよ。この旅一番の安堵だ。

大変愛想のいいIさんという女性の店員さんがいて、早速、自転車が借りられないか尋ねてみた。佐伯駅前の観光協会の人に話を聞いた時には、大入島にレンタサイクルはあるが、子乗せ自転車はないと言い切られていたが、Iさんは「あるよ~」と。いい意味で話が違う!厚い雲が割れて、いっきに青空が広がった瞬間だった。もちろん心の中の話しだが。

Iさんの後をついて、自転車倉庫へ行く。鍵を開け、重たい扉を引くと、中にはたくさんの自転車。薄暗い倉庫の奥に、1台のチャイルドシートが付いた自転車を見つけた時は、本当に嬉しかった。

「これで2人で自由に島を巡れる!」

道は開けた。娘も、はじめは食彩館前の広場で遊んでいられれば充分のようなことを言っていたが、自転車を見たら「わたしの椅子!」と大喜びだ。

荷物を預かってもらい、大入島巡りに出発した。

時刻は9時半を過ぎていた。風も冷たいし、何より昼前から雨の予報なので、見るポイントを絞る必要があった。「神の井」という、島を代表する史跡を目指すことにした。

大入島は山がちだったが、舗装道路は非常にシンプルで、島の輪郭に沿うように走っていて高低差がほとんどない。電動アシストではない自転車でも、今回走ったコースで辛いところは無かった。

食彩館を出発し、すぐ東側に通るトンネルを抜けて、島の東側に出へ。北風が強い日だったが、読み通りこの海岸線は風がない。そのまま北上し、「神の井」がある日向泊集落へ向かう。

それにしても、3月だというのに、だいぶ寒い。私は自転車をこいでいたのでだんだん温まってきたのだが、後ろの娘は「さむ~~い」と、余裕があるのかわからないような声で叫んでいた。少し急ぎめに「神の井」を目指した。


「神の井」は、日向泊の集落の入り口辺りの、道路から一段下がったところにあった。ゴロ石がある小さな神社の真ん中に、ぽっかり穴の空いた井戸があるのだが。自転車から降りた娘は、「神の井」の横から伸びる天神社の階段を上っていくので、私も後につい行く。小さいのに、なかなかの体力で、一人でぐんぐん階段を上がって行ってしまう。本殿と狛犬のいるひっそりとした天神社には、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が祀られている。小ぎれいな境内で、狛犬以外の石造物は見当たらない。この広いスペースは祭祀の時に使われているのかなどと考えながら境内をひとしきりまわりった。

階段を降りて戻り、ようやく「神の井」へ。「神の井」は、神武天皇が日向国・美々津浜を出向し東征の途中にここに寄り、折弓をつきたて「水よ出でよ」と唱えると、清水が湧きだしたという伝説がある。日向泊という地名の由来もそこかららしい。

「神の井」は地面にぼっかり空いた穴のような井戸で、うっすらと白濁した水が満々としている。目を凝らすと底が見えて、深さは大人の身長くらいか。ここから数十メートル先は海なのだが、「神の井」は真水が湧いているということだ。海の近くに真水が湧くことは決して珍しくはないのだが、何となく浪漫があっていい。

不思議な井戸を見ながら座って休んでいると、80代くらいの女性が通りかかり、にこにこと声をかけてくれた。他愛のない会話をしていると、不意にその女性は小さな社に置かれた柄杓を指さし、飲んでみてほしいと言う。

「飲むのは遠慮します。だって白濁しているし……」

それが正直な気持ちだったが、もちろん言うことはできない。歴史ある井戸だし、その女性や島の人がとても大切にしている“水”に違いなかったからだ。それでも、躊躇してしまった。だが、何故かその女性は飲むまで動かないというような気迫でその場にいる。思い出すと笑ってしまうけれども、旅は始まったばかりで、万が一ここでお腹を壊したら……。私がピンチに陥ってる一方で、娘は言われた通りに意気揚々と柄杓で水を汲んで飲もうとしていた。慌てて娘に近寄り

「ベロで舐めるだけにしようね」

と、小声で伝えてみたが、全く意に介さない態度で、次の瞬間には柄杓に口をつけ「ゴクッ、ゴクゴクッ」と喉を鳴らして飲んでしまった。慌てて止めるが、既にお腹を壊すには充分な量を体内に取り込んでしまった後。

「おーいしいー!」

「(神よ…………)」

こういう時ばかり神頼み。結果的にお腹を壊すことはなかったので良かったが、しばらくは娘の様子が気になって落ち着かなかった。私はと言うと、舌先で舐めて真水であることを確認するに留めた。確かに、しょっぱくはない。美味しいかと言われれば、その……。

「美味しいです」

私の感想を聞いた女性は、大変満足げに集落の方へ去って行った。

そんなこんなで、「神の井」を後にし、次はどこへ行こうかという事になった。地図を見る限り、日向泊から北へ行く道は恐らく北風が強くて厳しいルートになることが予想された。それでも、今来た道を戻るより知らない道を走りたいと思い、チャレンジすることにした。すぐに心くじかれるのだが……

日向泊集落の前を通る。建物の壁面に直接大きく書かれた「日向泊公民館」の文字がイイ。今更だが、「日向」とは現在の宮崎県の旧国名で、佐伯市の大入島があるのは「豊後国」だ。「神の井」の神武天皇の伝説によるものは先述の通りだが、別の地名が飛んできて付いた場所はどこも神秘的で興味をかきたてられる。期待に応える由来が必ずあるだろうと。

日向泊から先は北側に抜けるトンネルになっていて、トンネルの入り口では特有の冷たい風が吹き抜けてきていた。止めればいいのに、「えいっ」と自転車で飛び込んでしまい、想像を越える暴風で後部チャイルドシートの娘は悲鳴のような声を上げたていた。トンネルの向こうには、きっと素晴らしい未来が待っているんだと信じ、向かい風に逆らって前進する。しかし、トンネルの先の世界は、ハンドルを取られるほどの北風が吹き荒れる嵐。目の前の海も日向泊で見たそれとは全く違い、恐ろしいような白波が鋭い山を描いて道路のすぐ横に打ち付けていた。

「風がすごい!怖い!!さっきのお店に帰りたい!!」

叫ぶ娘の声を、強風がかき消す。これ以上進むのは100%無理だ。娘がいなくても、引き返している。

そんなこんなで、5分ぶりに日向泊に戻ってきた。ここは無風。信じられない!酷い目にあったが、想定された内なのだから、チャレンジャー。楽しかった。

堀切港に帰る途中、行きも通った白浜海水浴場を通ると、川や池にいるカモが浜でたむろしていた。私たちの姿に気付き、慌てて海に入る。行きにも見た光景……デジャヴだ。それが彼らの生活スタイルか。

更衣室やシャワー設備もあるようなので、夏場は海水浴場として人が多いのかもしれない。『サメに注意』の看板があって、どう気を付ければいいのかサッパリわからなくて面白い。サメにも種類があって、一概にサメ目撃=危険な状況とは言えないと思うのだが。それに、トイレやシャワー室はハングル語の案内もあるのだから、サメの注意書きにもハングル語を添えたらどうだろう。

島の深い湾なので、穏やかでいいビーチだと思う。夏に来たら美しいだろう。

食彩館に戻り自転車を返した所で、島は大粒の雨が降りだした。

「私たちって運がいいね!」

そして食彩館で、お昼ごはん。島特製の“ごまだし”を使った「ごまだしうどん」をいただく。「ごまだし」は佐伯名物だ。エソという白身魚と胡麻をベースに、砂糖、みりん、しょうゆを煮て作ったものが「ごまだし」という調味料で、佐伯地方では食事に添えられる。茹で上げたうどんにこの「ごまだし」をのせ、蒲鉾とワカメを添えるればとっても美味しい「ごまだしうどん」の出来上がり。

食彩館で初めて食べたところ、すっかり気に入った私は佐伯市の本土でも何度か食べた。これもお店によって個性があり、私はこの食彩館の「ごまだし」が一番口に合った。余談だけど、この年に池袋サンシャインシティで行われたアイランダーという島のイベントでも食彩館の「ごまだし」が購入できたのは嬉しかったな。

Iさんが、船が出るまでとても親切に接してくれて、のんびり過ごさせてもらった。わずかな時間しか大入島を走れなかったが、海岸線を進んでいるだけで島を感じられたのはよかった。入り組んだ海岸線の場所によって、吹く風も立つ波も全く違っている。わずかな地形の変化が、気候を大きく変えている事を改めて体感できたのはよかった。恐らく、それが大入島の中でも植生や、集落構造の違いに表れているのかもしれない。ゆっくり見る余裕はなかったが、いつかまた大入島を歩きたい。


まさか一週間後、再び大入島へ行く事になるとは

→『《紀行文》大入島 おおにゅうじま 2018・後


屋形島と深島へは渡れなかったけれど、もし渡れていたら大入島へ来ることはなかったと思う。出会いは、普遍的に待っているものなんだね。


2019.12.26 更新

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