《紀行文》保戸島 ほとじま 2018・前

2018年3月23日-25日

日本国内を歩いていると、諸外国の美しい景色になぞらえて『日本の○○○』と呼ぶ場所に出会うときがある。今回訪れた保戸島も「日本のナポリ」とか「日本の香港」と呼ばれているらしい。平地が殆どない小さな島に、明治中期より始まったマグロの遠洋漁業で財を成した島民が、港前の山肌にびっしりとコンクリートのビル集落を造った。その全景が、ナポリだとか香港だとか言われる所以らしいのだが。

それはさておき、私は海外へ何か国か行ったことはあるけれど、ここ数年は好んで国内の旅を楽しんでいる。噛めば噛むほど、歩けば歩くほど味が出てくる日本各地の風景。それを、海外の景観と重ねて「似てる」「似てない」などと比較するのは、本来そこにある真の魅力を見落としてしまうようであまり好きではない。地域おこしの一環でキャッチコピーとして掲げられている場合もあるようだが、なるべく耳をふさいで歩くようにしている。地域を自分の目でしっかり観察するため、余計な先入観を持ちたくないのだ。つとめて、平常心、心を無に、そして謙虚に……


保戸島は、大分県の四浦半島の先端にある。まるで半島から千切れ飛んだような島だ。地図の縮尺によっては保戸島を島と認識するのは難しいほどで、島と半島の間の“中島の瀬戸”の幅は100m程度。これほどまで陸地と近い地理関係であるのに、橋が架けられた歴史はないという。船に乗れば、30分ほどで本土の津久見港に行けるという海路特有の自由さが架橋の必要性を低くしているというのもあるが、一方で、島の中には架橋計画が上っても頑なに反対する人たちもいたという。マグロ漁で島を繁栄させてきた人々のプライドが背景にはあるらしい。

保戸島を見て巡るのに、このマグロ遠洋漁業の島という背景を知らなくては面白さも半減だ。島で見聞するものの全てと言っていいほど「マグロは」「マグロの」「マグロだから」「そのマグロに」「マグロと」……と、全ての会話はマグロに至る。

だが不思議なことに、肝心のマグロの姿を保戸島では見かけない。刺身や名物のマグロ漬け料理(ひゅうが丼)を食べられるお店はあるが、マグロ料理が生活の食卓に溢れているということがないことに、はじめは違和感があった。実のところ、マグロ水揚げは日本各地で行っていて、保戸島は過酷な仕事を終えた人と船が身体を安めに帰ってくる場所、という理由なのだ。

保戸島へ渡ったのは、2018年3月。3歳の娘と2人で、船が出る津久見港の近くに前日から泊まり込み、朝から気合を入れて定期船に乗り込んだ。

到着し船を下りると、噂で聞いていた保戸島の街並みが眼前に迫る。四角いくすみのないコンクリートの住宅がびっしりと島肌に貼りつくように建ち昇っていた。ビルとは言っても殆ど個人住宅で、とにかくその密度が凄くて日本の景色とは思えない。異国と言うのも違う気がするが、日本と思えないのだから異国情緒でいいのか。想像より急斜面に集落が形成されていて、港にいるとコロシアムの真ん中に立たされた感覚。しばらくポカーンと見ていたが、その後は何だか笑いがこみ上げてきて仕方がない。ついに保戸島へやって来たというわけだ。

予約した民宿に荷物を置き、早速、島の散策を始めた。

住宅同士の僅かな隙間から延びる路地は、保戸島ワールドへの入り口。すれ違うのも難しい路では娘の後ろから歩き、じっくり保戸島ワールドを観察していく。

路地の中でミクロ視点の観察を始めると、外観から受けた異国情緒は、急激に息をひそめる。洗濯物の干してある窓際など、よく知る生活感が出ていて、引き戸、ポスト、電柱、マンホール、蛇口、ガードレールなどは、なじみ深い日本のものばかりだ。

とは言えこの密集度。日本パーツを見つければ見つけるほど、違和感が反比例で増してゆく。


保戸島の中で、車が通れるようなメインストリートは、漁港の前を通る海岸道路一本と、島の上の方を走る一本のみ。あとは全て、こんな路地と言ってもいいくらい。「迷路が本当にあるなんて」娘のこぼした独り言が、いみじくも言ったもので。コロシアム様の街並みを歩くうちに、いつの間にか進み過ぎたり、登り過ぎたりして、目当ての寺や神社になかなかたどり着けずにいる。高いコンクリート住宅が壁になって、否応にも方向感覚が狂わされる。上へ下へ、右斜め上へ左真下へ……念願の保戸島で激しく翻弄されてふわふわと心地よい気分になってくると、

「本当にナポリだな」

「いや、ニースかな」

「あ、サントリーニ島」

などと、敬遠していた『日本の○○○』シリーズみたいな言葉が、次々と頭に浮かんで来るから自分でも可笑しい。今日までのポリシーは一体何だったのか。ドメスティックな人間ほど、こういう時は単純なのかもしれない。


マグロ漁で急速に栄えたため、人口が増す一方で住宅を建てられる場所も当然限られていく。その解決策として、住宅を密集させ島肌に沿い上へ上へと築くことで人々は住まいを確保し、現在の保戸島特有の姿になっていった。それほどまでして、保戸島に家を持つ事が、マグロ漁師たちとって大きなステータスだったということらしい。

無秩序にも見える街並みの中に、確かな秩序を持って築き上げた真面目さもどことなく感じられる。限られた土地に生活のあれこれを詰め込もうとした結果、ちょっとずつ色々なものが面白い造りになってしまうところも保戸島らしさか。

保戸島は、小さい島ながら、集落は大体4ブロックに分けることができて(実際の字名はもっと多い)、加茂神社のちょうど北西に長方形に割と新しい家が集まっている区画がある。コロシアムエリアにあった住宅を、平地に持ってきてまるで見本市のように整然と建ち並んでいるのだ。ここの住宅も、せっかく広く区切られたエリアにいるのに、やはり誰かと触れ合っていたいと言わんばかりに肩をピッタリと並べてしまっている。

この区画で目立つのが、コンクリートがむき出しで窓の殆どない住宅。「考えよう。答えはある。へーベルハウス」という、いつかのCMで描かれていた架空の白い箱ハウスを地で行っている。まさかデザイナーズ住宅なのだろうか。マグロで栄えた保戸島なら、少しくらい手の込んだオシャレな住宅があってもおかしくない気もするし?

実はこれには保戸島特有の事情が絡んでいる。

「お隣さんが(隙間なく)建てることを考えて、窓はつけないし装飾もしないのよ」

後に出会うTさんが答えてくれた。なるほど、保戸島らし過ぎる事情だ。よくよく見れば、白い箱ハウスの周りには必ず空き地があって、いつでも住宅が建てられるようスタンバイ状態だ。

「ただね、子供のために、親が土地を買ってるところもあるのだけど、今はマグロも下火だから島に戻ってくる人もいなくてね。今後は、もう建つかどうかはわからないね」

例えそうだとしても、白い箱ハウスには、不思議と島の栄枯盛衰模様は色移りしていない。妙に爽快なのだ。屈託のない顔で、

「ここ空いてるよ、ぜひ来てよ!」

そんな家の明るい声が聞こえてきそう。

常に翻弄された保戸島歩き。迷って、知っているところに出たと思うと、さっきも来ている海徳寺に出てしまう。これは一体どういうこと?謎である。

海蔵寺の上には大師堂があり、弘法大師など観音像の石仏が道の端に並んでいる。引き寄せられるように登って行くと。亀の上にアンバランスに載せられた蹲に出会う。中島の観音堂にも同じ物があり、この辺りではこういう文化なのだろうか。どうも気になる存在。


島の散策を始める前に、民宿近くのお弁当屋さんで昼食を仕入れていた。そのお弁当屋さんがまた、非常に細い路地の途中にあって、看板が飛び出しているわけではないので、探すのに少し手間取った。宿の女将さんは「すぐそこ、曲がったところよ」と指を差しているが、私にはコンクリートの家々が並んでいるだけにしか見えない。訝しげに進むと、思わぬところに路地があり、吹き抜ける風に乗って美味しそうな匂いが飛んでくる。知っていれば何てことない近さ。保戸島のお弁当屋さんを目指すなら、視覚より嗅覚を頼りにした方がいいかもしれない。

店の中では島の女性たちが腕を振るっていた。近所の人たちも巻き込んで、ご歓談中。

「どれもみんな美味しいわよー」

作った人の料理自慢ほど、人を惑わすものはない。こんな美味しそうなお弁当屋さんがあるとは思っていなかったので(あるとは思ったが念のため無かった場合を想定して)、コンビニでちょっとした食べ物を仕入れていた。どれもこれも美味しそうだったが、娘と一緒に食べられそうなハンバーグ&スパゲッティと、独り占め用の生マグロを買った。

「民宿に泊まるなら、今夜はマグロ料理が出ると思うけどいいの?」

そうは言っても、見つけてしまったのだから早くマグロを食べたい。夜まで待つなんて、とてもじゃないけれど……

迷いに迷いながら、ようやくたどり着いた島の鎮守の加茂神社。小高い山にあって、大海原を見下ろしている。本殿へ続く階段の手前で私はある物を見つけた。

「見て、ほら、あれなーんだ?」

「あ、庚申塔!」

回り込み、2人で手を合わせながらじっくり観察する。江戸時代の元号が刻まれている。今でこそマグロ漁の島だが、この庚申塔はマグロ漁が始まる以前からこの集落を見張らせるこの場所にいたはずだ。島のどんな歴史を見てきたのだろう。

激しい階段を上り、加茂神社本殿へ。ここで見晴らしが良かったらお昼にしようと思っていたが、40代くらいの女性が一人、先に本殿に腰かけて食事をしていた。保戸島出身で、用事があって帰ってきたところ、天気が良かったので久しぶりに神社で過ごしたくなったそうだ。邪魔をしては悪いと遠慮がちにふるまったつもりだったが。

「お昼を食べるなら、本殿に上がって中で食事をしてもいいのよ」

どうぞと、本殿の扉を少し開けてくれる。突然やってきて、中でいきなり食事をするなんて図々しいと遠慮したが、どうぞどうぞと、自分の家の座敷のよう。それでは速やかにお参りだけ……ということで靴を脱いで上がる。しかし、畳の上に敷かれたフワフワの絨毯がどうしようもなく心地よくて、少しだけ休ませてもらうことにした。

「上がってるお菓子も食べてもいいのよー」

彼女はそう言い置き、神社の階段を下りて行った。供え物のお菓子を食べるなんて図々しいことが、決してあってはいけない、せめてここで食事させてもらうだけにしよう。

お弁当を広げ、汚さないように気を付けながらハンバーグやマグロを食べる。マグロのもちもちした感触がたまらない。これだから島はいい。次第に図々しくなっていく自分を一生懸命律しようと、せめて正座で食べていた。

食事が終わる頃、今度は若くて美しい女性が2人も入ってきた。大慌てで片付けようとすると、「どうぞ、ごゆっくり」とにっこり。お賽銭を入れ、丁寧な所作で参拝をしている。街の風をまとった身なりから、島に住んでいる女性ではないと判ったが、加茂神社の神様に揃って深く頭を下げる背中は、間違いなく保戸島生まれの人だった。

「お休みのところ、お邪魔しました。あ、このお菓子は食べてもいいんですよ」

そう言ってお供え物のお菓子を手渡され、ついに食べてしまった。

「久しぶりに島に帰ってきたのでお参りしに来たんです。そう、道がとても複雑ですよね。私たちもいまだに迷うくらいだし。結局、決まった道しか通らなくなるから、知らない道が結構あるんですよ」

驚きはあったが、確かにそういうことはあるのかもしれない。小さな島とは言っても、必要なければあえて新しい道を開拓しなくなるのは、自分の住んでいる小さな街でも言える。私が、玄関を出て100m先のあの道を直進したことがないのと同じだ。島出身なら島の全ての道を知っていて当然という思い込みは、いっきに覆された。


満腹で眠くなったという娘をおんぶ紐で背負い、散策を続けた。

港前まで降りてくると、男女が井戸端会議をしていた。30代ぐらいの若い人もいる。挨拶すると、

「どこの親戚の方?」

と一斉に。確かに、幼子をおんぶして腰を曲げている旅人は珍しい気もする。島の誰かの親戚と考えるのが普通だろう。滞在中、何度「誰の所の娘さんと孫?」と興味を持たれたことか。

島を見渡せる山の上の道路へ行きたいのだけれど、いまいち道がわからないと話すと、その中のTさんという女性が、これから友人と日課のウォーキングでちょうど上の道を歩きに行くから一緒にどうかと誘われた。喜んで便乗することにした。

Tさんの家に荷物を置かせてもらい(背中で娘が寝て荷物が増えたため)、友人Sさんの家へ寄り、出発した。

石鎚山の真下を通るトンネルから冷たい風が筒抜けて来て、入口に植えられたハマユウの花が品よく揺れていた。ウォーキングと言うだけあって、集落の道を真っすぐ抜けて上の道に出ることはせず、集落とは反対方面に伸びるトンネルを抜け半周道路を上の道までみっちり歩くらしい。言ってみれば遠回りだ。トンネルを前にそれに気付き、背中で正体を無くしている重い娘を思いやり、一瞬くらぁ~……

だが、マグロ漁師を夫に持つTさんとSさんとの会話が面白かったので、何とか頑張れそうな気がしてきた。

マグロ船に乗っているというご主人たち。昔は、島の若い男の人をたくさん連れて行くほどだったらしいが、時代の流れで平成に入ったころをピークに減船が進み、船は今では島内でも十数隻しかないという。その後、インドネシアの若い人を受け入れていたこともあったという。集落北側のトンネルを抜けた北の港の近くには、漁協が船乗りのための研修センターを建てて活用していたという。現在はどうなっているかわからない。

「インドネシアの子たちはみんないい子でね。島へ帰ってきたときは、その子たちと一緒に旅行に行ったのよ。私が一番好きなのは、東京の銀座や日本橋のデパートでお買い物することだったから。東京には何度も行ったのよ」

とTさん。

「でもね、主人たちは、1年の12か月のうち、11か月は漁にでているのよ?結婚してすぐの頃は、それがもうねぇ……」

とSさん。寂しいとは言わなかったが、その隠された言葉にTさんも強く同調していた。

「男の人は妊娠中もまるまるいないこともあったし、産まれてからも、子供の成長をゆっくり見る時間もないのよ?」

「あなただったら、どう?!」

どうだろう。私には考えられない日常が、もう何十年もいまだに続いているわけで、簡単に想像できるはずがない。一般的にイメージする夫婦や家族の形とは全然違った人生を辿っているのだから。「想像を絶します」というのが、間抜けだったが素直な感想だった。

一方で、保戸島は同じ境遇の女性が溢れている。夫の協力がなくては乗り切ることができない子育てを、お互い励まし合いながらずっとやってきたはずで、女性同士の絆の深さは相当なものだろう。他人と、家族かそれ以上の関係を築けるのは、私には眩しい話でもあるが。

私が子供を連れた女性ということもあってか、TさんとSさんだけでなく、島で出会う女性に

「うち誰もいなくて暇だから、いつでも家に遊びにきていいから」

と声をかけてくれる。真に受けるわけではないが、人間なのでそんな温かい声はやはり嬉しい。時には複雑な人間関係になることもあるだろうが、マグロ漁で大繁栄を築いた保戸島の内面には、支え合ってきた女性たちの生活が秘められている。

島の中央にある漁協には、マグロ漁師を家族に持つ女性たちの悲喜交々の日常を象徴するものがある。「漁業通信速報」。現在も、漁協の室内からガラス越しに掲げられている。こんなものがあるのも、保戸島ならではだろう。

船の名前の下にそれぞれマグネットで「南下中」「沖出中」「操業中」「帰港中」と貼られていて、「南下中」はミクロネシア方面、「沖出中」は塩釜などの日本近海方面に向かっていること意味していて、島内にマグロ船のリアルタイム状況を伝えているのだ。

「おとうさん(夫)、今はどの辺りにいるのかしら、遠くでマグロ獲ってるのね、あぁもうすぐ帰ってくるのねって、若い頃は毎日毎日これを見ながら想像していてね」

説明しながら見上げるSさんの横顔は今でも切なげだ。

インターネット全盛の現代でも、ミクロネシアまで行ったら簡単にLINEで連絡が取れるわけがない。昔だったら尚更。「南下中」の文字の重さはいかほどか。

 島の裏手から集落の上に続く道をゆく。若木のソメイヨシノが植えられていて、五分咲きの花を見ながら坂を上って行く。島民のウォーキングルートになっているようで、人とよくすれ違った。Tさんたちは知り合いに会えばお互いに挨拶をして喋りもしたが、目も合わさずお互いに無言の相手の時もあった。まるで都会の真ん中で見るような、深い交点のない無関心のすれ違い。しかし、正気を取り戻したかのようにTさんとSさんが振り返ると、

「今の誰だったかしら?」

「ん~わからないわ」

と。え、島内で知らない人がいるの?まさかそんな……

しかしよくよく考えてみれば、保戸島がいくら小島と言っても人口約900人。男の人がマグロ漁で1年のうちほとんど島にいないのなら、たまに帰ってきた人の名前と顔が一致しないということがあっても、何ら不思議なことではないのかもしれない。

小さい島では、全員が顔見知りという思い込みを、また覆されてしまった。

見晴らしの良い場所まできた。さっきからずっと来たかった、集落の上の道にようやく着いたらしい。

期待した通り、集落側と四浦半島側の間元集落まで見渡せる展望所。保戸島が本土とほとんど陸続きの地形であることを目の当たりにする。下から見上げていた住宅は、ここからは頭頂部ばかり。ライブ会場の一番後ろのシートから客席を見下ろしているかのよう。間元集落の静けさはとは対照的で、歩んできた歴史の違いが見える。マグロの島というプライドも。何てわかりやすい。

海上では、津久見へ向かう定期船が、真っすぐの勢いある澪をひいていた。

「橋はいらないでしょ?私(船)がいれば。」

集落の上の道は、登り始めから立派なコンクリート舗装だったが、直接集落へ降りるには徒歩ルートしかない。コンクリートの脇から、一見粗末な階段が続いていて、聞くとこれが集落へ降りる道だと。そんな階段が、ちょっと見ただけで3~4か所。どこを降りても面白そうでTさんSさんの動向を探っていたが、そこは流石ウォーキング。より長い距離を歩くために、もう一度、来た道を戻るらしい。


小島の漁協まで戻ってきたところで、ようやく娘は目覚めた。すぐにTさんSさんとも打ち解け合う。

「瀬の浜へ行ってみましょうか」

豊後水道に面している瀬の浜に向けて歩いた。浜は子供には足場が悪いということで、小島近くの防潮堤の上から遠巻きに見るだけに留めた。高い防潮堤が、無機質に島の北側の海岸を防御していた。荒れる豊後水道は、瀬戸内のそれとは全く迫力が違うと聞いたことがある。ここでは波涛が頭上から降ってくるのかと想像し、ぶるぶる震えた。


小島周辺の漁港は釣りスポットとなっていて、何人か男の人がいた。Tさんは知り合いを見つけ「釣れたー?」と声を張り上げるが、彼らは釣りに集中している。私たちに気付くと、表情を緩ませボックスの蓋を開け魚を見せてくれた。娘は「本物の魚だ!!」と目を丸くしている。やめてよ、知ってるでしょう。夕飯に必要な分は獲れたので、そろそろ切り上げるところだと教えてくれたが、こちらから何か話しかけても、多くは語らない人たちだった。

「マグロ船の機関室って、物凄い音がするから、船乗りはみんな耳が聞こえにくくなるのよ。島の男の人はみんなね」

歩き出してから、Tさんが言う。てっきりクールで寡黙な人たちなのだと思っていたが、そういうことだったのか。私も何かの折に船の機関室に入ったことがあるが、中は正気ではいられない爆音が耳だけでなく全身を揺さぶり上げる。遠洋漁業で長期間船に乗るなら、当然、普通の感覚の耳でいては仕事にならない。耳が聞こえにくくなったと言うより、過酷な環境に身体が順応した結果で、それこそ健康な人の持つ適応能力なのだろう。私はそのことに、密かに感動をしていた。海を見ると、豊後水道を大型船がぽつねんと航行していて、かすかにエンジン音が聞こえていた。別世界に映っていた遠く離れた船に、今この瞬間もたくましく働く人の姿が何となく見えた。またひとつ、新たな視点を手に入れたのだ。

集落に戻り、一番大きく突き出た防潮堤が本日のゴールとなった。改めて保戸島の街並みを見渡す。ここから見る姿が最も保戸島らしさがあって好きだと思った。

娘はTさんたちにすっかり懐き、ペラペラ喋って上機嫌だった。

「一緒に遊んでるから、ゆっくり写真撮ったらええよ」

どこまでも優しいTさんたちの言葉に甘えて、保戸島時間を味わった。肩まで降りてきた陽は、保戸島を目くるめく光景に染める。その世界に身を置ける幸せ。保戸島に来た長い1日が、もうすぐ終わるのだ。

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2018.10.26 更新

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